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2017年 05月 13日
公園で過ごす。ベンチに座って、ゲートボールしてる老人たちを見る。老人。のんびりとして、一見、平和の象徴にも見える。しかし、老人世界にも格差がある。老人世界にも過酷なヒエラルキーがある。僕と同じくベンチにぽつんと一人座る冴えない老人。彼はきっとゲートボール老人のコミュニティに属せない。同じ老人と言えど、種族が違う。老人にも老人の身分制度がある。上位カーストのリア充老人たちは下位カーストのボッチ老人を排斥する。 同じ老人でも住む世界が違う。仲間に囲まれた華やかな老人世界と、暗闇の孤独な老人世界。ゲートボールで楽しそうにはしゃぐ老人は、人生で孤立した経験もないだろう。ほぼ順風満帆の人生だったろう。そりゃあ悲しみや不幸はある、例えば親の死、でも、そんなのは誰にでも平等にあって、そういう誰にでもあるレベルでの悲しみや孤独じゃなくて、もっと深刻な、不可解で、行き場のない、牢獄のような、孤独の奈落の淵をさ迷う、果てが無い、いつまでも抜け出せない、無限につづく孤独地獄を想像もできないだろう。彼らは他人からはぐれることを知らず、ずっと誰かと一緒に生きていて、それが当たり前で、常に誰かに支えられて、人間集団という安全の中で安楽と生きていて、完全な孤立という苦痛、恐ろしさを知らず、人間の生き方として幸福な人たちなんだ。 この世界で誰が一番、哀れなのだろう?老人は悲しいか?いや、ゲートボール老人は正直、同情に値しない。逆に、ゲートボール老人、彼らは人生としてみれば恵まれ過ぎた一生だった。僕の老後を想像する。暗澹とする。僕は老人のゲートボール仲間に入れないし、彼らみたいに誰かと笑い合うこともできない、完全に孤独な老後だろう。老いや病の苦しみをたった一人で抱える老後の孤独の苦痛を思うと、今から恐怖で震える。あの楽しそうな老人たち、彼らはただ歳を取っただけだ。彼らの人生はずっと充実していた。ただ年老いただけの若者だ。歳は誰でも取るんだ。老い、それだけでは同情に値する特別な不幸や悲しみじゃない。ゲートボール老人は若い頃からずっと笑って生きてきたんだ。苦痛よりも圧倒的に幸せな人生だったんだ。そのわずかにあった悲しみや苦痛ですら誰かと分かち合いながら圧倒的に気軽に生きてきたんだ。なんて安楽で羨ましい人生なんだ?それに比べてゲートボールの集団に入れない老人は、きっと若い頃から孤独に生きて来ただろう。人々の賑わいに入りたいけど入っていけず、そのうちに人の中に入ることを諦め、ついに避けるようになる。僕と同じように、もがき続けても抜け出せない、救いの無い孤独というものがある。僕も将来、ベンチで独りで座る、あの哀愁の孤立老人と同じ道を歩むだろう。いや、僕はあの老人より少し若いだけで、すでに同じなんだ。いや待てよ、あの孤独に見える老人ですら、僕の知らないところで家族や友人があるかもしれない。ああ、そうだ、公園のベンチでひとり所在なさげに見える孤独な老人すら、僕にとって同情に値しないのかもしれない。僕より悲惨で孤独な人は、世界70億人規模で見れば僕より不幸な人はたくさんいるだろうけど、この恵まれた日本ではおそらく10~20%もいないと思う。 いや、僕ほど友達の一人すらいない、会社とのつながりもない、地域とのつながりもない、唯一のつながりは兄弟が一人、それすら年に数回会うだけの、こんな孤立の中で生きる人が、果たしてこの日本で1000~2000万人もいるだろうか?いや、下手をすると僕と同年代以下で僕ほどの孤立者はこの日本で100万人もいないかもしれない。100万人いると言われたヒキコモリの人たちですら、大半まだ親はいるだろう。それなのに僕ときたら、まったく嘆きたくなる、舌打ちしたくなる、ありえない、有りえない。どうしてこんな孤独な1%の確率の貧乏くじを僕が引いてしまうんだろう?はぁ。そう、いつもそう。僕の人生は、いつだって僕は貧乏くじを引かされる。カスみたいに呪われた運命にウンザリする。僕は人生を、世界を、この世に生まれた事を呪いながら、恨みながら、孤独と病んだ精神の苦痛と恐ろしい肉体の病気のための苦痛と、心も体も、苦痛まみれでのたうち回って、孤独に死ぬんだろう。ああ、僕はアスファルトで訳も分からずに太陽に焼かれて死ぬミミズと同じなんだ。ああ、今年の夏もまた、道路の上で干からびたお前たちの姿に、僕は自分を重ね合わせて見てしまって憂鬱になるよ。ああ、そういうものなんだ。誰にも顧みられることもなく無残に死んでいく哀れなミミズよ、僕もお前らと同じだ。僕の人生に、命に、大した価値などない。もうその事実を受け入れてしまえよ、そうすれば少しは楽になれる。
by ununteimei
| 2017-05-13 23:32
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